20140329
ひどく遠い距離。
日々の生活の中で、Déjà vuとはとても厄介なものである。
ちょっと前までは物珍しくて、周りに居た誰それ構わず
「Déjà vuだ」と言っていたんだけれども、
最近はそれが頻繁に起こっていて、誰にも告げられる事無く私は
遠くを眺めてしまう。
夢を見ていると表現が追いつかない、
表現するまでもなく時間が進む体感の中に在り
頭の理解と、到達点とが一直線に、
シナプスの電解速度で行われる。
それが現実では遠い。
それが愛しく、まどろっこしく、
起こりえないとどこかで先に 終わり。をうつ。
届かない、響かない、触れない、というのは、
この場合は肯定なのだろうか。
水の上に水を浮かべて、その上の舟を家にしてみた。
我々は日がな一日裸で居て、
初めて見るように相手を眺めて、
思い出したら水を掛け合うのである。
20140321
今日は(も)、どこへ いこうか。
らせん状に昇ってゆく細胞(育て主が違うとこんなに違うものかしら)。 “今日はどこへ往こうか”って、
本来的な意味で、心から話し合えるのは根っこの在るひとたち。
最近は何に対しても中立に成って来た気がして、流れるままに自然であるような気がする。
中立を演出しなければならなかった時、それは中立では無かった。
白は、黒ではないけれど
ほんとうの白なんてどこにあったんだろうか、
わたしは
あなたではなかったけれど、
私の中のあなたには大層近づいたと思う。
それもこれもF100号の白い海のせいだ。
いいことだ。
すごく(いい意味で)心や胃に、胸に、ぽっかり穴が空いたみたいに
風通しがいい。
植物が背伸びをする季節だ。
今日はどこへ往こうか、ねえ。
***
さて明後日は、ブエナに行きます。
高安君の個展が始まるよ*
http://bar-buena.com/news/3649
登録:
投稿 (Atom)